逓信総合博物館 ていぱーく
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展示物のご紹介
郵政資料館 Postal Museum
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郵政資料館 Postal Museum
郵便事業の成り立ち、発展ドラマ等を貴重な資料を通して紹介する歴史コーナー、約29万種の世界の切手を集めた「切手ギャラリー」や手紙文化などを紹介する「郵政文化ギャラリー 」など種々の資料を展示しています。
3階 所蔵品 郵政事業の変遷
所蔵品 資料紹介と解説
お年玉付年賀葉書の誕生
お年玉付き年賀葉書は、昭和24年12月1日から昭和25年用の発売が開始されました。これが、くじ付年賀葉書の誕生となります。2円のお年玉付年賀葉書3,000万枚とそれに1円の寄附金をつけた3円のもの1億5,000万枚が発行されました。
この制度が具体化されるまでには次のようないきさつがありました。
終戦直後の郵政事業は、被害が甚大で、その復旧に莫大な資金を必要としました。さらに、郵便利用の低調もあって郵便事業経営は赤字に悩まされ、その赤字を克服するのが急務でした。
そこで、郵便利用を増大させるための呼び水として、久闊(久しく便りをしないこと)を1枚の葉書に託す年賀状に白羽の矢が当てられ、その差出しを積極的に勧奨することになりました。
初めてのお年玉付年賀葉書
(昭和25年用)
このような背景から、お年玉付年賀葉書は、京都に住む林正治はやしまさじ氏(当時42歳)によって考案されました。当時、氏は大阪の心斎橋で用品雑貨の会社を経営していました。この年の6月にアイディアを思いついて大阪郵政局へ行ったところ、本省への紹介状を書いてくれたので、見本のはがきを作り、宣伝用のポスターを描いて、お年玉の賞品案も考えて7月に上京しました。林氏は、「終戦後、うちひしがれた状態の中で、通信が途絶えていました。年賀状が復活すればお互いの消息がわかるのにと思ったのが最初の発想です。それにクジのお年玉を付け、さらに寄附金を加えれば夢もあり、社会福祉のためにもなると考えたのです。」と、この案を考えたきっかけを「サンデー毎日」(昭和62年)の記事の中で述べています。この頃の日本は、まだ復興のさ中で混乱し、物資にも恵まれない状況でした。離ればなれになった肉親も多く、友人知人の消息もつかめないことから、新聞やラジオでは連日尋ね人の消息を求めていました。
さて、郵政省の会議では、「おもしろい案だが日本では、今、疲弊して食べるものも食べられない時代である。送った相手にクジが当たるなんて、そんなのんびりしたことができる状態ではない。」ということで、時期尚早といった意見が強かったのですが、曲折を経た末に、むしろ、「このような時代だからこそ夢を与えるものが必要である。」という結論に達しました。ここに、年賀葉書にくじ番号を付け、抽選によって当選者に「お年玉」として賞品を付与し、さらに一部に寄附金を付加し、その寄附金を社会事業に配分するという、世界に類例のない画期的な制度が創設されました。
昭和24年お年玉付年賀葉書周知用ポスター
お年玉賞品の移り変わり
昭和25年のお年玉賞品の特等は「ミシン」、1等が「純毛洋服地」、2等「学童用グローブ」、3等「学童用コーモリ傘」、4等「はがき入れ」、5等「便せん封筒組合せ」、6等「切手シート」(2円×5枚)でした。この当時の「ミシン」は、値段が1万8千円位(会社員の初任給が3千円〜4千円)大半が月賦販売という高嶺の花でした。戦後間もない時代だったので、葉書の売行きも賞品の評判も、上々でした。
昭和30年代の特等は、電気洗濯機(昭和31年)やタンス(昭和33年)、ステレオ装置(昭和36年)、35ミリ判カメラ(昭和37年)、8ミリ撮影機(昭和38年)などで前半は日常生活に関わりのある商品、後半は「ハイテク日本」へと邁進している時代の商品であることがわかります。
昭和40年代の1等(41年から特等がなくなりました)は、ポータブルテレビ(昭和40年〜42年)や8ミリ撮影機映写機セット(昭和44年)、折りたたみ式自転車または電子卓上計算機(昭和48年)、ラジオ付きカセットテープレコーダー(昭和49年)などで、所得水準向上や余暇の拡大により、レジャー志向が高まってきていることがわかります。また、48年の電卓の登場は「デジタル時代」の幕開けを象徴しています。
昭和50年代、60年代は、折りたたみ自転車(昭和50年〜52年・56年)、ラジオ付きテレビ(昭和54年)、コンパクトカメラ(昭和55年)、カラーテレビ(昭和58年)、電子レンジ(昭和59年〜60年)で、ハイファイビデオテープレコーダー(昭和62年)、カメラ一体型ビデオ(昭和63年)へと産業技術の変化が見られます。
平成時代に入ると、海外旅行券(平成元年)、海外旅行券または衛星放送受信回路内蔵型AVテレビ(平成2年〜4年)、衛星放送受信回路内蔵型AVテレビ(BSアンテナ付)・旅行券・羽毛掛ふとん(ペア)の中から1点選択(平成5年)、衛星放送受信回路内蔵型AVテレビ(BSアンテナ付)・腕時計(ペア)・カメラ一体型ビデオの中から1点選択(平成6年)、衛星放送受信回路内蔵型AVテレビ(BSアンテナ付)・液晶モニター付ビデオカメラ・日本語ワードプロセッサーの中から1点選択(平成7年)、ワイドテレビ・液晶モニター付ビデオカメラ・電動駆動補助力付自転車の中から1点選択(平成8年)、ワイドテレビ・カーナビゲーションシステム・MDコンポ・乾燥付洗濯機の中から1点選択(平成9年)、ワイドテレビ・ハンドヘルドパソコン+デジタルカメラ・電動駆動補助力付自転車・液晶デジタルカメラの中から1点選択(平成10年)、デジタルビデオカメラ・ワイドテレビ・カーナビゲーション・ハンドヘルドパソコン+デジタルカメラ・乾燥付洗濯機の中から1点選択(平成11年)、電動自転車・デジタルビデオカメラ・カーナビゲーション・ハンドヘルドパソコン・マッサージ椅子の中から1点選択(平成12年)、平面テレビ・デジタルビデオカメラ・ポータブルDVDプレーヤー・食器洗い乾燥機+食器セット・マッサージ椅子の中から1点選択(平成13年)、液晶テレビ・ノートパソコン・カーナビゲーション・電動補助力付自転車・高画質デジタルカメラ+プリンターセットの中から1点選択(平成14年)、ノートパソコン・液晶テレビ・洗濯乾燥機・マッサージ椅子・電動駆動補助力付自転車の中から1点選択(平成15年)、ハワイ旅行・国内旅行・ノートパソコン・DVDレコーダー+ホームシアターセット・デジタルビデオカメラ+プリンタセットの5点の中から1点選択(平成16年)など、複数賞品の中から選ぶシシステムへと変わっていき、ゆとりや付加価値の部分を評価する時代となったとも言えます。
このように賞品の移り変わりだけを見ても、その時代時代を繁栄していることがわかります。
年賀葉書抽選会
(昭和26年)
大阪中央公会堂
寄附金の配分先
昭和24年に発売された寄附金付き年賀葉書(寄附金当時は1円)の寄付を受けた団体は、中央共同募金委員会と日本赤十字募金委員会のみでした。この寄附金は、戦争で両親を亡くした子供達の施設や、死亡率が高かった結核撲滅などにも大きく貢献してきました。
最近では、高齢化社会が進展していますが、お年寄りの方々の施設充実のためなどの社会福祉や、特殊疾病の研究、原爆治療、交通事故防止、文化財の保護、がん検査・胃検診の車両、社会教育、スポーツ振興、地球環境保全等々の事業に寄附金の一部が使用されています。
また、地震や水害などが発生し、災害救助法が適用されると、その地域の人達に、歯ブラシなどの日用品をセットした救援物資が日赤から届けられます。これは、寄附金で準備されたこの救援物資が各地の日赤に保管され、災害が起きた時に使われています。
そして、非常災害が発生した場合、安否を気遣う親戚などに消息を伝えていただくために、郵便局から被災地の各家庭に官製葉書が5枚、ミニレター(郵便書簡)1枚が配られます。
このように、寄附金付きのお年玉付年賀葉書は、社会福祉のために役立っています。
現在では、300余団体に10数億円が配分されています。
絵入り年賀葉書の発行
郵政省(平成15年4月から日本郵政公社)は、昭和57年11月5日に発行された昭和58年用から寄附金つき年賀葉書を絵入りとし、裏面に新年にふさわしい絵や年賀の言葉を印刷して3種類発行しました。これは、世間の要望に応えたもので、また民間業者の加刷葉書を適正価格へ誘導する目的もありました。(この頃、裏側に干支や賀詞を印刷したものが1枚70円(当時の葉書の料額は20円)でデパートや書店などで売られていました。この二次加工は中小の印刷業者が数年前から始めた新商法でした。
この絵入り葉書は、33年ぶりに寄附金が3円に引き上げられ、絵の印刷経費として2円を加えて売価45円で発売されました。
この結果、好評だったことから、翌昭和58年(昭和59年用)からは、全国で発売する「全国版」と、発売地域が特定され郷土画家が描いた地方色豊かな「地方版」が発行されました。
初めての絵入り葉書発行 絵入り年賀葉書 地方版
昭和57年11月5日発行 昭和58年11月4日発行
 
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